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執筆者の写真Yuri Matsumoto

ヒト生殖医療と野生・動物園動物繁殖

更新日:10月1日

 2024年7月4日に日本で初となるアフリカゾウの人工授精が盛岡市動物公園 ZOOMOで行われました。

 ドイツからゾウの人工授精の世界的権威、ヒルデブラント獣医師とゲーリッツ獣医師(ライプニッツ動物園野生動物研究所)を招聘し実施されました。


 コロナパンデミックの影響もあり、6年の歳月を経、現場スタッフ皆様のご尽力で実現しました。

 人工授精はトレーニング通りに指示を遂行したお利口なアフリカゾウのマオ(22歳)と、長年マオの飼育に携わっている飼育員・獣医師との信頼関係の下、滞りなく約1時間で終了しました。

 

人工授精
アフリカゾウのマオ(盛岡市動物公園)
 

 元々ヒトの体外受精技術は家畜繁殖技術の延長上にあり、その技術やデバイスはヒトの体外受精の進化の中で洗練され、またその技術が動物繁殖、特に絶滅の危機に瀕している野生動物に応用されつつあります。


 私は大学時代に家畜の繁殖を学んでから不妊治療のクリニックに就職して以来、「比較動物学的繁殖」という観点からヒト不妊治療を見つめてきました。


 今回、ヒト生殖医療と野生・動物園動物繁殖についての類似点とその応用に関して考察してみたいと思います。

 

目次

  1. ヒトにおける晩婚・晩産化と動物園動物の高齢化 a. 妊娠・出産(繁殖)機会の減少と婦人科腫瘍の増加 b. ヒトにおける月経コントロールと動物園動物における適齢期の繁殖の重要性 c. 高齢そのものによる妊娠・出産(繁殖)障害

  2. Frozen zoo (冷凍動物園)と高度生殖補助技術

  3. 研究施設としての動物園の新たな役割

  4. おわりに

妊活・不妊治療・カウンセリング
 

1:ヒトにおける晩婚・晩産化と動物園動物繁殖の類似点


a. 妊娠・出産(繁殖)機会の減少と婦人科腫瘍の増加 


 今回人工授精を行ったアフリカゾウのマオは22歳。ヒルデブラント先生によれば、「本当は20歳までにはお産するのがベター」とのお話でした。


 理由は繁殖(妊娠・出産)の機会が減ると、生殖道(生殖機能に関わる器官や構造。主に外陰部-膣-子宮-卵管-卵巣)に腫瘍ができる可能性が高くなるため、人間のように出産に外科的な介入ができない動物では、腫瘍ができることで妊娠・出産が命に関わることになるためです。


 ヒトも同様、晩婚・晩産化が進み、何かしらの婦人科良性腫瘍(子宮筋腫、子宮腺筋症、卵巣嚢腫など)を有して妊活を行うことになり、結果として妊娠・出産を難しくしているという背景があります。


b. ヒトにおける月経コントロールと動物園動物における適齢期の繁殖の重要性

 

 現代の女性は昔の女性に比べ妊娠・出産の機会が減少したために、閉経までに経験する月経の回数が増加し、月経の回数が増えたことで婦人科系疾患が多くなってきたと言われています。


 ヒトはゴリラやチンパンジーなどの高等霊長類に比べ、もともと多産です。

他の高等霊長類が約5年前後の授乳期があるのに比べ、ヒトは約1-2年で離乳します。

 離乳によって母親のプロラクチンの分泌が減り月経が回帰し、妊娠することができるため、そもそも月経回数が多い傾向にあります。


 そのため、前述した腫瘍の発生を抑えるには、妊娠することで月経が止まる期間ができるか、ピルの内服や子宮内に装着するIUD(Intrauterine Device)で月経をコントロールすることが重要になります。


 動物園のゾウも妊娠のタイミングが遅れてしまうと、ヒトと同じような問題が生じます。よって適切な時期に妊娠の機会を与えることが、繁殖プログラムにおいても重要になってきます。


c. 高齢そのものによる妊娠・出産(繁殖)障害


 現在、日本に存在するアフリカゾウは2023年1月現在、25頭(オス4頭、メス21頭)を飼育していますが、2013年のとべ動物園での出産を最後に繁殖がありません。そしてその殆どが、加齢が進んでいる状態です。


 アフリカゾウに関しては国際的な規制なども影響し、輸入ができなくなり、国内に存在する老齢の4頭のオスで繁殖を試みなければならないという現状があります。


 アフリカゾウに限ったことではありませんが、野生動物に関しては発情の見極めがとても難しいです。ヒトと異なり、明確な月経周期のようなものがあるわけではないので、行動評価と場合によっては採血や採尿でホルモン値の検討を行いますが、検出そのものが容易ではない場合が多いです。


 また野生動物は移動や環境が変わることでストレスを受け体調を崩したり、雌雄のペアにしても動物同士の相性などがあり、繁殖がうまくいくかどうかはわからず、不確定要素がとても多いです。


 これらの不確定要素を避ける意味でも、近親交配を避けるという意味でも、今回のマオの人工授精は大変意義のある事ですし、人工授精そのものの利便性を最大に発揮した事例であると思います。


 ヒトにおいても晩婚が進むと、体調不良や基礎疾患などが増えますし、セックスという行為そのものに問題が生じ、不妊治療を行っているカップルも多くいます。


 生殖における様々な問題を解決する-その点においてヒトもアフリカゾウのような動物園動物も同じような課題を持っており、その解決法としての人工授精、体外受精の位置づけは似ていると私は考えています。


妊活・不妊治療
日本では貴重なオスのアフリカゾウ(八木山動物公園)
 

2:Frozen zoo (冷凍動物園)と高度生殖補助技術


 スヴァールバル世界種子貯蔵庫をご存じでしょうか?

 気候変動や壊滅的な戦争などで地球が危機に瀕した時のために、世界中から農作物の種子が集められ、非武装地帯の永久凍土に保管されています。


 このようなバイオバンクの動物版が、主に野生動物の研究者や動物園関係者の手で世界各地の動物園や研究所などに存在します。

 iPS細胞の発見以前から、科学技術の発展に期待して動物の組織サンプルを凍結保存し続け、特にアメリカ・サンディエゴ動物園の1000種以上の組織サンプルのコレクションは「Frozen Zoo(冷凍動物園)」と呼ばれています。

 日本でもよこはま動物園ズーラシアの繁殖センターをはじめとして、このような機能を持ち合わせた動物園や大学が数か所存在しています。

 

 近年、iPS細胞から生殖細胞の作出が可能になったことで、こうした動物の凍結サンプルは「生殖細胞」としての意味も持つようになってきました。


 そこで必須の技術となるのが体外成熟培養-体外受精技術です。


 現在、前出のヒルデブラント先生をOrganiserとしたBioRescue projectでは、世界でたった2頭となったキタシロサイの母と娘(ナジンとファトゥ)と、凍結保存されたキタシロサイの生殖細胞や組織を使った、次世代の動物保護プロジェクトが進んでいます。


 そこで利用される機材は、ヒト体外受精で使用されるもをカスタマイズしたもので、ヒト体外受精で蓄積された知見が応用されています。

 

 ヒト体外受精では、顕微授精の自動化やAIを利用した精子選別や胚評価などが進んできています。将来的にこうした技術も高度な技術を要する野生動物繁殖に応用されることが考えられ、こうした分野の架け橋の存在に私はなりたいと行動しています。


妊活・不妊治療・カウンセリング
人工授精に使用されたアフリカゾウの凍結精子
 

3:研究施設としての動物園の新たな役割


ライプニッツ動物園野生動物研究所
ライプニッツ動物園野生動物研究所(ドイツ・ベルリン)

 まず、国内の動物園の大半は自治体の管轄下にあり、動物園を「市民の憩いの場」としての位置づけしか行ってこなかった、日本人の動物園に対する考え方があります。

 しかし近年は動物園の環境エンリッチメントや動物福祉に対する理解が進んだことにより、展示・管理方法などが改善され、その専門性も高くなってきました。


 ある報告によれば2040年には国内のアフリカゾウは7頭に、ニシローランドゴリラは6頭に、ラッコは10頭に減少すると推計されました。そもそもこれらの動物たちは密猟や環境破壊による生息域の減少などで、世界的にも絶滅の危機にあります。


 こうした動物たちを世界的な繁殖計画の下で、しかも日本国内で繁殖できるということであれば、環境保全や教育、最先端研究の観点からも未来の動物園は大変重要な意味を持つと思うのです。


 大学や研究機関との連携も大切ではありますが、私個人としては、国が動物園にも研究機関としての位置づけを行い、動物園主体で研究を行うという仕組み作りが必要であると考えています。以下に私が考える理由を書きました。


 
  • 国内に獣医学科は17校(国立10校、公立1校、私立6校)あるが、野生動物を専門に研究している研究室が少なく、動物園からの共同研究の依頼をすべて受け入れるにはリソース上の問題がある。

  • 自治体で採用した獣医が数年で動物園獣医から転勤することになると、職員の専門性が培われない且つ、熱心な人材を確保できなくなる。

  • 研究機関としての位置づけで、科研費などの研究費が獲得しやすくなる。

  • 日本国内に野生動物に関する専門研究機関を持つことで、海外からの信用も得られる可能性があり、世界的なプロジェクトにも参加しやすくなる。

  • 動物園が研究機関として高度な専門性を持ち、次世代の動物園像が明らかになることで、国民の動物園に対する新しい認識が生まれる可能性がある。

 

 残念ながら海外との動物交換が進まない理由には、日本という国の動物園(対動物政策といえるかもしれない)に対して認識の低さが考えられるということです。


 このままの認識で今後も動物園の運営が行われると、将来的には動物園には死を待つ老齢の動物しかおらず、経営も行き詰まり、荒廃していくのをただ見ているような状況になりかねません。


 獣医師や飼育員には修士や博士などの学位保持者もおり、専門的な背景を持った人材も多くなってきています。我が国にも野生動物研究の最先端の研究機関と専門家がおり、世界で活躍する事こそ、動物園の将来を変えてゆく原動力になると、私は考えています。

 

4. おわりに


 今回人工授精に挑戦したマオの妊娠の有無は、早ければ10月、遅くても12月頃には判明するとのことです。


 ✨動物の妊娠・出産も、ヒトと同様に奇跡の連続です✨


 動物園や水族館で赤ちゃんを見る機会があったら、ぜひ人間の妊娠・出産・子育てとどう違うのか調べてみてください。


どうやってこの動物は妊娠するの?

妊娠中はどんなふうにお母さんは過ごすの?

出産は人間とどう違うの?

どうやって子育てをするの?

妊娠と出産においてオスの役割って、人間とどう違うの?


 地球上の生き物はそれぞれ、自分たちに適した方法で生活し、繁殖しています。

それらを学ぶことで視野も広がるし、生命に対する畏敬の念も生まれると思います。


💕マオをママに!!💕

盛岡市動物公園ZOOMO
盛岡市動物公園ZOOMO ホームページより




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